2014年1月26日日曜日

2014

気が付けば2014年も明けて1月も終盤に差し掛かろうとしている。毎日が電光石火の如く過ぎていく。

さて、一週間も過ぎてしまいましたが1/19(日)はRoyal Shadowとblackholeという2つの東京のアンダーグラウンドレーベルのCEOによる合同企画があった。

話が持ち上がってから相当話題になっていたこのイベントに自分もDJで参加させて頂きました。この場を借りて二人には御礼申し上げます!

バンドは現代のハードコアパンクを存分に感じられる強力な面子。自分はブースに立ったりで後半殆ど観れなかったけど、YOUNG LIZARDとMASSGRAVEは強烈でした。あとBLACK HUMOR CONTROLの孤高の存在感。僕がハードコア聴き始めた頃の当時の日本の諸先輩バンドに通ずるセンスをヒシヒシと感じて、何か嬉しくなる。KIM AFTER KIMもヤバすぎた。あの三人が一つの空間作るのが本当に奇跡なんです。

全体通して本当に雰囲気が良く、月並みだが最高の企画だったと思います。DEATHROはもう本当に一番旧いPUNKSの友達だし、コサカくんは彼がTOL3とバンドやってた頃からの「千葉の」友達、二人とも旧い仲だけど、まさかこの二人が合同企画を目論むとは思ってもいなかった。点と点が結ばれた感じがして、僕としては胸が熱い出来事でした。

あと手前味噌ですがPrivacyも急遽デビューを飾らせて頂きました。ぶっつけ本番でテンパりもしましたが、自分としては何かと色々と掴めたので今後も何か仕掛けられたらと思います。真剣なので。

DJは自分がやってて楽しかったのでそれで良いです。ENCROACHEDノブサカくんがめっちゃ食いついてくれて嬉しかったな。またやりたい。

あとその前の週にはACROSTIXも観たんだった。グダグダのPUNKSの空気って好きじゃないけど、そこに熱いメッセージを投げ掛けていたシン君に痺れました。未来を観ている人たちは違う。HARDCORE PUNKに「生かされる」なんてダサ過ぎだから。それを「武器にして生きたい」ものですね。

社会情勢は相変わらずクソ共が調子に乗って明日も見えない状態ですが、今年も締めるところは締めて遊ばさせて頂きます。

よろしくです。

2013年12月14日土曜日

HATE

人が人らしく生きる。怒り、悲しみ、笑う。どの感情も人間として認められたもの。人と人が激しく憎み合い争うことも人として当然であり、僕は好き好んで争いに参加こそしたくはないしそれを面倒に感じつつも、それを否定はしない。勿論、愛する人たちを傷つけられるなど自分の身に火の粉が降りかかれば当然、怒りに駆られ、他人を憎み争うことも辞さないだろう。

差別や原発や戦争は人が生きることを根本から否定しているとしか思えないから怖いし憎い。本当にそれだけのこと。

自分は聖人君子でも人格者でも無い。他人に対する憎悪や怒りを認めるからこそ、あらゆる差別や人の生を脅かす政策にはNOを言い続けたい。怒りや憎悪を表明するために明確な意志を持ち続けたいと思う。

2013年12月8日日曜日

近況①

・特定秘密保護法案採決FUCK.自分だけの力では叶わないけど、安部ファッショ政権打倒を胸に誓う。絶対に諦めません。

・秘密保護法で世の中が揺れ動いている間、DISCHARGEとかLIP CREAMとかNIGHTMAREなんかを聴いていた。特にLIP CREAMのラストアルバムの世界が近づいている気がしてぞっとしたと同時に、闘争本能に火がついた。

・ワンマン主義が嫌い。

・上位機種の掃除機を買って変にアガる。

・自分の中の“PUNK観”再考。改めて拘っていくつもり。

・アンチで観たPOIKKEUS、衝撃的で最高だった。昔から憧れる「大阪のハードコアパンク」が醸し出すアノ感じ、完全にどうかしていた。

・LFY/VÅR/Pharmakon、来年2/8に来日決定した、死ねる。

最近はそんな感じでした。

2013年11月21日木曜日

SEE U LATER

連れの実家の犬が亡くなってしまった。とても寂しい。9月に帰省した時には弱々しい身体で散歩を喜んで、でもリードを伝わる力は弱々しく切なかった。

歳を増すごとに別れは増える。

ふと、もう逢えない人たち(人に限らず)の顔を沢山想い出して、逢いたくなったり。

皆に告ぐ、俺より先に消えてくれるな。

2013年11月18日月曜日

回帰

さて、ぼちぼち迷ブログ復活しましょう。

そう、ツイッターに妙なプレッシャーを感じる時期に入っています。自分の思わせぶりなツイートが他人のTLに(それもどう考えても求められてないのに)突発的に表れることを意識し始めると、もう駄目ですね。読み流されたくもないし、深読みされたくもないしで、自意識高めなわがままちゃん。

以前と比べたらツイッターとの付き合い方にも慣れたし、辞めこそしないつもりですが。だからあれはあれで本当に取るに足らないアホなこと言っとけば良いかな自分は。

棲み分けなんて自己満なのかもしれないけれど、どんな小さな一言でも再びブログというフィールドで伸び伸びやりたくなってしまった。何てったって独壇場ですからね。ブログで書いたことなら、読み流されても深読みされても何か許せる。自分の納得いく文字数で書けるし、簡単に風化しないし、読んで欲しい人にも読んで貰えるだろうし。

という感じで、「またか」と愛想を尽かされる気がしますが、もういい加減開き直って、ずっとこういう葛藤を繰り返そうと思います。

そもそもが、少し疲れているのかもしれない。

いやいや、まだまだ色んなものに感動や興奮や刺激を受ける余裕もあるので平気すね。

これとかもう。


2013年3月29日金曜日

限界は其処

新しい暮らしにもあっという間に馴染み、遂に来る四月からの社会復帰が目前に迫った。

労働における価値観も人それぞれだとは思いますが、所詮人ひとりが出来ることなんて限られているのでは。それぞれが自分に出来ることを眈々とこなし、それを日々積み重ねていくだけでは駄目なのだろうか。勿論、不得意な場面も無慈悲に回ってくるのが仕事。そこで他人に目を向けられない(それを打破できる協力者が手を差し伸べたり、皆で解決する協調性のない)様な組織に身を置いているのなら、一層辞めた方が無難。その方が恐らく貴方も組織もお互い円滑になる。「辞める」という意思表示も一つのカウンターだし、誰しもが安心して身を置くのに相応しい場所は必ず何処かにあると思う(僕は「場所」には刑務所も各施設も病院も地獄も含めたいけど)。

仕事の愚痴やら何やら鬼の様にツイートなどネットにぶちまける人も目につく。気持ちは痛いほど分かるけど見ていて辛くなる。その人がそれを吐き出すことで気持ちの整理がつくのであれば、それを止めてくれとまでは思わない。でも正直、知ったことではない。いっそ仕事の愚痴であれば「(上司、客など)◯◯くたばれ」くらいなこと書かれた方が見ていて爽快だし、僕はそれを笑いたいし、僕自身がそうする日も今後あるかもしれない。それは昨今の人種差別デモにおける「◯◯人を殺せ」の様な陰湿な差別表現とは訳が違う。「憎み方」さえ謝らなければヘイトは健全な感情だと僕は思います。万人に伝わらなくても、怒りの音楽も、怒りの意思表示も表現としてあって良い筈だから。往々にして仕事の愚痴をネットに綴る人は、所謂善い人が多そうなので心配になる。でもそんな人たちはその分、表現でヤバい才能持ってたりするのだけど。

自分の中で人間が嫌い、怖いという想いも未だに根底に何となくある。自分が嫌われたく無いが故の立ち振る舞いもするし、変な嘘や誤魔化しも全く無いとは言い切れない。でもそんな自分がどう転んだのか対人援助の場に立つらしい。それはきっと、対象との関わりを軸にして、やたら小難しい「人間」というものをもっと知りたいのだと思う。そこに、自分自身が生きたり、表現していく為のヒントもある気がしてならない。

限界は何処だ、なんて僕には言えないのです。其処彼処に転がる限界を認めてこそ、僕は生きていけるのだろう。