2013年2月12日火曜日

HATE THiNK HATE

前回の記事、UPしてからというもの思うことがありまくりで。それだけ僕には新大久保のデモというのは凄くショッキングなもので、「差別」ということに関してずっと考えるというスパイラルにハマってしまった。

僕は正直、思考停止の上に他者を傷つけることに特化してしまった様な人々はもう既に「手遅れ」な存在で、檻なんかより病棟に送り込む方が適切なんじゃないかと思っていた。そのほとんどがヒキコモリのアニオタの様なパブリックイメージも当然持っていて。しかし、全てを一括りにしてそれに当てはめてしまうことは、それも自らの思考停止だよなと、少し反省しています。

「嫌う」ことは人としてごく当たり前の感情。無理にその感情を押し殺してしまう人も居るけれど。ただ誰しもが自らのそれらの感情と、もう少し向き合う必要がある。「何気なく“嫌い”」ということが、実は刷り込みである可能性だってある訳で。それを、知らず知らずの内に他者とまた何気なく共有しているかもしれないし、本当はおかしいと気付いている様な人もそれを外に言い出せぬまま、差別することを享受しているかもしれない。

この点を改めて考察した上で、僕は「差別」をもう一度はっきり否定したい。

個人的な「嫌い」には何も文句なんて無い。ただそれを自己都合のもとに解釈して根拠の無いデマに他人を押し込めたり、またその負の感情を誰かと共有してまで無抵抗な人々を罵るのは異常だ。



ネットなんかでは話の通じない馬鹿とのトラブルが面倒なので自重していますが、僕自身は悪口大好きなんですよねこれが。ヘイトだけに。受け手としても、毒気の無いものには一切の魅力を感じないですし。

だからヘイトのHATEは別に誰にも強要しませんし、むしろヘイトがHATEする奴らはある意味自分にとってスパンコールの様なものなのです。

なので「何となく」でHATE振りまいて悪態ついてる様な屑は笑えないので黙れ、消えろ、と言っておきます。



久々に黒いトコ出しちゃった★

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