2013年2月10日日曜日

病める人々


極端な話をしてしまえば、常軌を逸した放射能忌避も、在特も、極左も、体罰肯定派も、この目にはすっかり同じものに見えてくる今日この頃。

彼らは大義名分として「日本」「子ども」「自由」などを護るための行動=表現を実践している様だ。でも本当に守りたいのはきっと「自分」。何か行動している実感で「自分」が救われたいが為に、それらをダシにしている様にしか思えない。

僕でさえ救われたい。だから言葉を綴ったり、運がよければ音を鳴らすこともある。僕はあまり会話が得意ではないので、余計にそれらによって救われる。彼らにとってのデマや暴力が果たして僕のそれと違うのかと言ったら、きっと同じ。ただ、一つ違うと言えば、僕は「自分の為」にしか表現や行動をしていないと言える。仮想敵も「自分」。くすぶってる自分をぶっ殺したいだけ。

とは言っても、自分を強く持つって、言うほど簡単ではないね(僕も結構、人に依存したりするので、内心冷や冷やしてますよ。いつか誰か離れていくんじゃないかって)。

最早カルト化した集団には然るべき「救いの手」が必要だ。それはもう、セラピーであって、説教して変われるレベルの人はそう居ないだろう。きっと僕の手には負えない。



ただ現実問題として、カルトに支配された人々のデマや暴力によって実害が生じることが多々ある。

そういう観点からすると、例えば先の新大久保の反韓流デモに対する「レイシストしばき隊」の様なアクションも止むを得ないと感じた。

正直、初めはそのネーミングに耳を疑ったが、その大きな意図は、レイシスト連中と同じ土俵で相撲する様な無意味なアクションではなく、機能しない警察警備へのカウンターとの事で腑に落ちた。そして第一回のそれが無事に役目を果たしたとのこと。

自由に甘んじて何でも許される訳じゃないととっとと学んで、一人でもネトウヨみたいな連中が自らの恥に気付くことを願う。領土だ何だ言ってないで、もっと自分の人生を生きて下され。



自己保身が為に人に吠えて傷つけるなんてみっともないし、それじゃ一生モテないしいつまでも変われないよって、何か有名な萌えキャラにでも言って欲しいもんだな。

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